6歳の春、祖父が亡くなった。いつもテレビでボクシングばかり見ていて、近寄りがたく、不気味だった祖父。
いつものように週末祖父の家に行ったら祖父は風邪を引いていて、ずっと部屋で寝ていて、帰る時に部屋からひょこっと顔を出して、「おぅ、またな」と言って。
その日の夜中だった。
父に起こされて、ぼんやりしたまま車に乗って、普段なら沢山の車が走っている道路に、自分たちの車しかいないという不思議な光景。どうして車が走っていないのに、信号は動いているのだろう、そう思った記憶がある。状況は分かっているつもりだけど、早く祖父の家へ行きたかった。早く行ったところで、6歳の私には何も出来ないのだけれど、誰もいない道路の信号が赤になるたびに、私はイライラした。
朝が来て、親戚の人、近所の人、友人だという人、とにかく沢山の人がやってきて、どことなく小さな声で少し話しては、帰っていく。
何回挨拶したことか。何回、6歳です、と答えたことか。
初めてのお葬式は、お経が呪文みたいでなんだか可笑しくて、でも泣き続ける母を見て笑ってはいけないのだと気付いた。
祖父が亡くなってからは、仏壇に線香をあげて手を合わせることが私の、祖母の家に行った際真っ先に行う習慣となった。
それから数年後、中学生になったある日の夜。蒸し暑くてなかなか寝付けなかった私は、窓を開けて涼んでいた。
そのまま寝てしまったことに気付いたのは、名前を呼ばれたから。何回か名前を呼ばれて、目を開ける。
「風邪引くぞ」そう言われて、布団を掛けてもらう。
「うん」そう答えて、また目を瞑る。
あぁ、そうか。私あのまま寝ていたのか。だから、じぃが来てくれたのか。
そう考えた瞬間に飛び起きる。今、確かに起こされた。
誰に?
冷たい風が吹いて、窓が開けっ放しだったことに気付く。
じぃが来た。絶対に、そうだ。
久しぶりに聞いた声は変わらず低く、重みがあった。
謝らなければならないことがある。
家へ行ってもいつも無口で、愛想のない孫だったこと。早く帰りたくて、一緒にご飯を食べようという提案を毎回全力で拒否したこと。
葬儀の時、怖いと言って逃げ回り骨を拾わなかったこと。
ごめん。ごめん。
仏壇に手を合わせても、お墓参りをしても、もう遅いのに。懺悔するかのように毎回手を合わせていた私を、見ていたのだろうか。
あれから一度も、祖父の姿を見たことも、声を聞いたこともない。
定期的にお墓参りをする習慣は続いているし、先日、墓地の責任者になることも決めた。そうしようと、自然に思えた。
暖かな春、蝉が鳴く夏、枯れ葉が舞う秋、北風を浴びる冬。どんな季節でも、必ず行く。時には1人で。時には母と。そして時には私の家族と。
あの声を思い出す時がある。そのたびに思う。きっと今も見てくれている。
私はそう信じている。