「延命処置は要らない。」
母は昔からそう私に言う。機械に繋がれて呼吸をしているのは呼吸”させられている”から嫌だと言う。
目を開けられることもなく、美味しいものも食べられず、痛い、痒い、苦しいなどの感情も得られず、管に繋がれているのは虚しいと。
恨まないから、機械にだけは繋げないでね、と笑って母は、私に言う。
もうこれは母からの遺言だと思って【その時】が訪れたら言う通りにしようと、決めてはいる。もうそうするしかない。恨まれて夢で文句を言われるのは辛い。
臓器提供意思表示
こんな言葉が出始めたころ、ふいに母に言った。「私の臓器が誰かの役に立つのなら、その時は提供したい」と。
母は「絶対に、そんなことは、しない」と言って目を赤くした。
なぜ私の身体のことで、私の希望が通らないのだと不満に思った時期もあるが、母親となった今、母の気持ちが、言いたいことが、分かるような気も、する。
ひとりの人間の臓器が、それぞれ必要とするひとの元へ届けられて、それによって何人ものひとが生き延びることが出来る。
ひとりの命から、何人もの命が、助けられる。
なんて綺麗事だ。
だが、すごい事だと思う。
昔観た、医療ドラマの台詞が、よぎる。
【その時を決めるのは誰】
母のその時を決めるのは、私だ。
ずっとそう思っているけれど、実際の覚悟は未だ、出来ていない。
恨まないからねと笑って言うその姿を、私はその時思い出すのだろう。
その姿に背を押された、そうやって、そう言い聞かせて、私は綺麗事にするのだろう。
【この胸に刃を立てれば】
どうなるのだ どうなるのだ
何度考えても、答えは見つからない。
きっと、誰も、見つけられない。