小走りな日常
普段のこと

聖徳太子の誕生と条例施行

夏休み早々に、聖徳太子になった私。

東の方角から「ねぇ、お母さん」という声を聞けば

西の方角から「おかあさーん、みてぇ」という声がする。

そして東西から重なる声を私の耳は素早く分析し、解読し、東西へ声を張り上げる。

一日一回だけならば、耐えられる。が、数分に一度、この苦行はやってくる。

なぜ、同時に声を上げるのだ。そして、なぜ声の大きさを張り合うのだ。二つの騒音を聞き分けるのは難儀であり、私の声までも釣られて大きくなってしまう。結果無駄な体力消耗。

そこで聖徳太子は早々に条例を施行した。

【お話は、1人ずつ】

私は逃げないし、隠れもしない。聞こえるし、返事もちゃんとする。

だから、せめて1人ずつ話そう。

【来て、じゃなくて、あなたが来て】

「ちょっと来て」「ちょっと見て」のリクエストが多く、その都度作業を中断して部屋に向かうと、粘土で作ったお花とか、ブロックで作った銃とか、作品を紹介してくれる。手先が器用なのは分かった。こだわって作っているのも知っている。

たまには持ってきてくれ。私のところにその自慢の作品を。

【今日と明日のことを話そう】

プール行く日は8月になってからだから、まだだよ。

水族館に行く日はあと何回寝ないと、やって来ないよ。

カレンダーにひらがなで書いたから、見てね。

花火は、雨が降らなかったら出来るからね。そうだね、やれるといいね。

ボイスレコーダーにこのセリフを撮って流そうかと何度も考えるほど、言い続けた言葉。

とりあえず今日と明日の予定だけを考えよう。それだけでも覚えられないんだからさ。

ちゃんとプールにも水族館にも行くから。心配しないでおくれ。

花火だって、あんなに沢山買ったじゃないか。あとはやるだけよ。

条例が施行されても、民の心に浸透するのは難しく、毎日、毎時間、条例は守られず、私の聖徳太子化は加速するばかりであり、私の作業の進行も遅れるばかりの日々。

カレンダーを眺めるのはやめた。時計を見るのもやめた。そんなことをしても、夏休みが短縮されるとか、1時間が30分になるとか、そのような奇跡が起こるはずもなく、粛々と、淡々と、日々の作業をこなし、夜を待つ。長い長い、夏の戦い。忍耐。

戦いが終わった今も、私は聖徳太子のまま。

今日もあちこちから届く声を解読し続ける。

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